Menu
うっとうしい梅雨ですね。毎日、お風呂場のカビ退治に励んでいるおもて順です
5月から6月は新緑の季節。毎年、緑が色濃くなり、木々がモリモリと成長している姿がよ~く分かりますおいらは実家を離れ、お坊さんの修行をしながら大学生活をスタートさせ初めてゴールデンウイークに帰省した時のことを今も忘れません。たった1ヶ月ちょっとの間でしたが、電車の車窓から身延の山々が見え始めた時、鮮やかなまぶしいくらいの緑色に、初めて故郷の山がこんなにも美しかった事に気が付いたのでしたその後、2年を熊谷で、6年を都内で過ごしたおいら。田舎者丸出しだったおいらは、すっかり都会のとりこなってしまい、一時は何で山梨の山奥に生まれてしまったのかとため息を付いていた時期も。しかし27歳で先代住職の親父と今生のお別れをし、お寺の跡を任される事となり、都会ともおさらばしてきたのでした。その後もちょくちょくと用事で都内へはお出かけはしていたものの、いつしかおいらの心境にも変化が。あんなに魅力的だった都会よりも段々と身延の山奥の方が居心地が良くなってきたのでしたその思いは30代で愛妻と海老同穴の契りを結び、愛娘モンちゃんジュニアくんを授かってから今なおどんどん強くなっています。都会は確かに住むには便利。何でもある。何でも出来る。老若男女のあらゆる刺激とニーズを満たしてくれます。でも、絶対に無い物も。それは本来の自然。山、川、海、おいしい空気、輝く星空などなど。立派なビルや道路はいくらでも造れますが、自然を創り出す事だけは絶対に不可能
おいらの好きな作家に開高健さんがいます。中学、高校時代にはまってしまい、著書をむさぼり読んだものでした。そんな開高さんの言葉の中でも今なお強く印象に残っているものがあります。これは1988年のAC公共広告での文章。長くなりますけど今の時代にこそ大事なメッセージだと思うので全文転載させて頂きますね。

自然は今、全地球規模で酷い状況になっている。
トンボがいなくなった、ドジョウがいなくなった、
カエルの鳴き声は聞こえない。
ウグイスの声も聞いたことがない………。
トンボやドジョウがのんびりと棲めないところには
人間も住みづらいのだということはいろいろ報告されているが、
このことをそのまま皮膚で
ナイフで切られた傷のように感じる人は実に少ない。
考えるより感じることのほうがむずかしいのは、
万古不易、いつの時代も変わらぬものなのだ。
自然にはある限界点があり、それ以内ならば
人間がほんのちょっと努力すれば蘇るという
不屈さをもっているが、その限界点を越えてしまうと
どうあがこうと作り出せない。
ヒトは月へ行って帰ってこられるようになったものの、
オタマジャクシ一匹、実験室で作り出せないじゃないか。
そのオタマジャクシが失われた時、
人間の心にどういう変化が起こるか、
この大問題をみんなもっと見つめる必要がある。
形あるものが形のないものから生まれるのだという
大原則に鋭く、深く目を凝らしていただきたい。
そして山や川を眺めてほしい。
すべての日本人が心の故郷喪失者に
なりつつある今こそ。切に!          開高健

あなたの国に、まだトンボは棲めるか。


その当時、15歳の青臭い中学生だったおいらでしたが、生意気なチュウボウにもかなりズドーンと心に響いた文章でありました今、おいらの生活を顧みるとなんとぜい沢な事かと思うようになりました。朝はうるさい位のウグイスを始め色んな鳥のさえずりやセミの声で目を覚まします初秋の夜には涼しげな虫の声、空に目を向ければ満天の星。1年中木々や花、トンボ、カエル、カニなどの生き物を目にします。寒ければ寒いなりに、暑ければ暑いなりに、自然の四季を五感で感じる生活を送れています。あっ、決して都会生活を否定する訳ではありませんのでご容赦を。それぞれがお好きな所で住まうのは自由な事。ただ、おいらは自分を始め、子供達にとっても今の環境は恵まれているなぁと思います。お江戸出身の愛妻と結婚してすぐの頃、愛妻のパパさんがやってきました。パパさんは境内に立ってぐるりと周りを見渡すと、「ああ、いい所だなぁ。俺、大好きだなぁこういう所と一言ポツリ。その数年後に他界してしまいましたが、うれしそうに身延の山々を眺めて言ったその姿が、強く印象に残っています。
今、おいらは時間があると、部屋の窓や境内、お寺の色んな場所から周りの山々を目を凝らして眺めます。部屋の窓からは鷹取山と身延山がまるで1枚の絵画のように見え、四季折々に楽しませてくれます。目の前にそびえるように山があるので、稜線の木々の形までよ~く見えます。そうした山々や山内の色んな風景を眺めた時にいつも思うようになった事があります。それは「おいら達の心のお師匠さま、日蓮大聖人もこの景色を眺められていたんだなぁ。この大木もひょっとすると、その時代からあったかも」と、いうような想いであります。大聖人はたくさん著述をされたお坊さん。今なお多くの著作や、お手紙などの書き物が残り、伝わっています。それらの中には、当時の身延山の様子を書かれた御文章も。そうした御文章を拝読しながら周囲を眺めると、750年近い時を超え大聖人と同じ風景を眺めているんだという感動がジワジワと湧き上がってきますましてや、現在そこで生活しているなんて。宗旨の異なる方にはどうでも良い話になってしまうのですが、おいら達の宗派、法華経、お題目の信仰を持たれている方にはここ身延山は聖地。大聖人が墓所を定め、未来永遠に魂を留めると述べられ、約9ヵ年のご生活の中でお釈迦さまが教えを説かれたインドの霊鷲山に勝るとも劣らないと感得された場所。おいらは20代、30代、40代と年を重ねるにつれ、ようやくそのありがたさが分かってきました。おいらが今、生活しているこの場所はまさに都。住めば都ではなく、すでに都に生まれ育ち、都に住んでいた事に年月を経てようやく気が付いたのでした
今も昔も不便な山奥。でも、厳しいけれど自然がいっぱいなおいら達にとっての聖地。おいらはこれからもますます身延山が好きになっていきそうなのであります

志摩房から見た鷹取山と桜 七面山から見た雪景色の身延山 おいらの部屋から見た梅雨時の鷹取山
※愛娘モンちゃんやジュニアくんの子供達にも、変わらぬ風景を見せてあげたいと思うおもて順なのです
  • -
  • -