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日中はもう夏みたいですね。愛娘モンちゃんと水遊びを始めたおもて順です
おいらのお寺の裏山には、ご守護神である、最上いなりさまをお祀りしています。ちなみに、もがみいなりでなく、さいじょういなりとお読みします。たまに間違える方がおられるもので。さて、実はそのお堂の少し上には、石塔が建っています。高さが2.5mほどのお墓のような形です。でも、これはお墓ではありません表面には「南朝烈士忠霊塔」(なんちょうれっしちゅうれいとう)と刻まれており、脇には「陸軍大将 尾野實信書」、さらに背面に建立の年月日と寄進された方々のご芳名もあります。何の為に建てられた塔かというと、南朝烈士という楠木正成公(くすのきまさしげこう)を筆頭とした、鎌倉から南北朝時代に活躍された武将の皆さんの徳を称える為の塔です
   南朝烈士忠霊塔   最上さまのお堂前から見た石塔
ここからは、政治や思想的なお話にもふれますが、右や左だとか何が良くて何がダメと決め付けたり押し付けたりする意図はおいらにはありませんので、ご了承をお願いします。おいらが子供の頃からすでにあった塔ですが、この塔にお参りに来られた方というのは、今に至るまでおいらの記憶にはありません。もしもおられたらすいませんおいらも、14年前に自分が住職になってから、どういった趣旨のものかを知りました。建てられたのは昭和11年4月18日と石塔には刻まれており、また当時の身延町長さんの祝辞も残っていますが、そちらには4月19日とあるので、19日に建立の式典があったようです資料によると陸軍関係や南朝烈士を顕彰する会、史跡の保存や公職関係の要職に就かれる方々30名近くが参列されています。その時の写真が1枚だけありますが、石塔の周囲には幕が張られ、正装の紳士と建立の発願主と思われる女性、恐らく当時の住職の奥さんであろう方の姿が写っています。当時、住職は亡くなっていたようで、発願主は奥さんの名前になっています。また、目的はただ南朝烈士を顕彰する為としかなく、詳しい経緯等は書かれていません。ですが、町長さんの祝辞には、伝え聞くには楠木公を始め一族が篤い法華経信者である事。建武の親政の折、後醍醐天皇に忠義の誠を尽くされた事を称える事。さらに、今は国家の非常時であり、故に日蓮大聖人の霊地であるこの地で町民の皆さんも、昭和の楠木公や日蓮大聖人のような気構えで臨んで欲しい事。といった文言が記され、祝辞とするとあります昭和11年頃がいったいどんな時代だったかは想像がつきません。ですが、この祝辞を見る限り、日中戦争大東亜戦争に到る前の不穏な世相の中、日本の国の平和と安泰の願いも込められていたのではないかと思います。
さて、では何で南朝烈士、楠木公をそんなに褒め称えるのか歴史が好きな方は良くご存知かもしれませんが、最初はおいらもまったく分かりませんでした。でも、戦前の日本の国民の皆さんならば、知らない人はいなかったとか。戦前は多くの楠木公や南朝烈士を称える会が存在しており、また皇居外苑には今も立派な楠木公の像が設置されています。今では無くなってしまった修身の授業では、後醍醐天皇にお仕えしたその心構えと生き方が称えられ採用されていました。戦前には一部の軍国主義に利用されてしまった部分もあるのかもしれませんが、その前に人として見習うべき点もおおいにあると思います。戦後は占領国の戦後教育により、修身の授業は廃止され、楠木公の事も広く一般に教えられる事もなくなってしまいました歴史の中で紆余曲折があり、その時代で楠木公の評価も違っています。具体的にどのような行為や経緯があって、称えられるようになったかは長くなりますし、おいらの表現ではうまく伝わらないかと思うので、ここではズルをして省略させて頂きます。代わりに、楠木公については多くの方のご意見がありますが、おいらがとても参考人になったサイトをご紹介させて頂きます。その一つである下記サイトをクリックして頂き、ぜひともご一読下さい。恐縮ですが読んで頂かないと、楠木公の事が具体的に分からないと思いますので
『英考塾 大悪党にして大忠臣 「楠木正成」。その大いなる誤解とは』?
   石塔から望む鷹取山と門前町   石塔の裏面に彫られた年月日
よく、楠木公を悪党と呼ぶ場合があります。おいらも最初ははて?と思いましたが、どうやらそれはちょっと勘違いみたい。弱者の味方になって、幕府や権力にはむかった者は悪党呼ばわりされたようです。という事は、今で言うアンチヒーローと言えばいいでしょうかもちろん好き嫌いはあるかとは思います。でも、おいらは楠木公の生き方を知って、とても感銘を受けました。また、戦勝国によって、日本の国民の思想やあり方が変えられ、現在のおいら達がいる事実に恐怖も感じます。争いごとや暴力はいけません。でも、楠木公や一族の忠(心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心)、義(人道に従うこと、道理にかなうこと)、孝(親子・老少・先輩を敬い、子孫・後輩へと継ぐこと)等の精神は、すすんで見習う点ではないかとおいらは思います。考えてみると、こうした心持ちは今の日本にはちょっと足りないかも
当時は色んな方の、さまざまな想いで建立された石塔だと思います。当時の詳しい様子がほとんど分からないのは残念でなりません。それでも、こうした偉人を称える石塔がお寺にある事は、おいらにとって誇りに感じます。そのご威徳を、一人でも多くの方に知って頂ければありがたく存じます。石塔がある場所からは、鷹取山と門前町、さらに身延山山頂も見る事が出来ます。きっと楠木公やお仲間の皆さんも、この眺めには満足して頂けているのではないかと、勝手ながら思うおもて順でした。合掌

   当時の身延町長さんの祝辞と写真   当時の小田原にあった二見石材店さんの施工のよう
※石塔をお参りしてみたい方は、遠慮なくおいらまでご連絡下さいね
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